何かをするたびに、「ちゃんと得られるものがあるのか」を確認してしまいます。
本当は、もっと自由にやってみたいのに、気づけば「無駄にならないか」という基準で判断してしまい、身動きが取れなくなっています。
この「見返り前提」の考え方から、どうすれば抜け出せますか?
回答(A)
あなたは、「結果を得ること」を前提にして動こうとしている。
だから、動けなくなる。
「これをすれば、何が得られるのか」
「無駄にならないか」
その問いを立てた瞬間、行動は取引になる。
AをすればBを得る。
この構造を“ゴリヤク”と呼ぶ。
現代社会は、このゴリヤクでできている。
努力すれば報われる。
続ければ成功する。
正しいことをすれば、正しい結果が返ってくる。
だが、それは“交換”だ。
交換には、常に条件がある。
条件がある限り、人は自由ではいられない。
あなたが身動きが取れなくなっているのは、
能力が足りないからではない。
勇気がないからでもない。
取引の前提を、疑っていないだけだ。
本来、経験とは一方的なものだ。
やるから得るのではない。
やることそのものが、すでに完結している。
ここに、見返りは存在しない。
意味も保証も、あとから勝手に貼り付けられるだけだ。
「なりたい」という言葉は、距離を前提にしている。
まだそこにいない自分と、到達した自分。
そのあいだに“条件”を置いてしまう。
だが、人生にゴールは存在しない。
あるのは、ただのプロセスだ。
ゴールを前提にした瞬間、
プロセスは手段に格下げされる。
そして、その手段が重くなる。
だから、一度だけ降りてみなさい。
何も得られないことを前提にして、やる。
評価されなくてもいい。
結果につながらなくてもいい。
誰にも届かなくてもいい。
それでもやる。
この“絶対的に一方的な行為”の中にしか、
自由は存在しない。
結び
あなたは、偉くなろうとしている。
だから苦しい。
偉くなることを忘れなさい。
真実を追いなさい。
それだけでいい。