質問(Q)イナン教授は、なぜ無意味大学に入ったのですか?
他にも選択肢はあったはずなのに、
なぜ「無意味」という場所を選んだのでしょうか。
回答(A)
選んだのではありません。
気づいたら、ここにいました。
正確に言えば、
“意味のある場所”に居続けられなくなったのです。
若い頃、私は
「正しさ」や「役に立つこと」を信じていました。
努力すれば評価される。
価値のあることをすれば報われる。
そういう世界に、疑いはなかった。
だが、あるとき気づきました。
それらはすべて、
“交換”の上に成り立っていると。
何かをすれば、何かが返ってくる。
評価、成果、地位、承認。
一見すると合理的ですが、
そこには常に条件があります。
条件がある限り、
人は自由ではいられない。
私は、その構造に疲れたのです。
何かを得るために動く。
評価されるために整える。
意味のあることを選び続ける。
その繰り返しの中で、
「自分が何をしたいのか」が、わからなくなった。
だから、一度すべてを降りました。
意味を求めることをやめたのです。
そのとき、残ったものがありました。
理由もなく続けてしまうこと。
誰にも見せなくてもやってしまうこと。
結果にならなくても手放せないもの。
それが、私にとっての“本当の動き”でした。
無意味大学は、
それをそのまま扱う場所です。
評価されるかどうかではなく、
成立しているかどうかでもなく、
ただ、そこにあるものをそのまま置く。
ここには、ゴールもありません。
役にも立ちません。
だが、ここでは
ようやく呼吸ができた。
それだけです。
結び
人は、意味を失ったときに迷うのではない。
意味を手放したときに、
はじめて自分に戻るのです。