ポポ社会学

ウムラウト教授のポカン論:第2講義 思考の外注

ポカンのすき間には、いろいろなものが入り込んできます。

その代表が、スマホに流れてくる「おすすめ」です。

頼んでもいないのに、なぜか出てくる。

「今これが人気です」

「あなたにおすすめです」

「これを買った人は、こちらも見ています」

「今、これを始める人が増えています」

こちらが求めたわけでもないのに、画面の向こうから、次々に何かが差し出されます。

もちろん、おすすめそのものが悪いわけではありません。

便利なこともあります。知らなかったものに出会えることもあります。自分では探せなかった情報にたどり着けることもあります。

けれど、問題はそこではありません。

問題は、それが入ってくるタイミングです。

人は、はっきりした目的を持っているときには、ある程度、情報を選べます。

仕事の会議中に流れてくる情報と、夜にぼんやりスマホを眺めているときに流れてくる情報では、こちらの受け取り方がまったく違います。

会議中なら、「これは必要」「これは今はいらない」と切り分けられるかもしれません。

けれど、疲れているとき。ぼんやりしているとき。第1講義で触れたような、忙しいのに退屈な状態にいるとき。

そのときの判断力は、いつもより一段も二段も下がっています。

そこに、スーッと入ってくる。

「これがいいですよ」

「今、これが旬ですよ」

「みんな、これを選んでいますよ」

そう言われると、つい見てしまう。

つい気になってしまう。

つい、自分に必要なもののように思えてしまう。

これが、思考の外注の始まりです。

自分で考える前に、外側から答えが差し出される。

自分で選ぶ前に、「これがいい」と言われる。

自分の中で問いが立ち上がる前に、すでに選択肢が並べられている。

そして人は、その中から選んだだけで、自分で考えたような気持ちになります。

ここが、少し怖いところです。

本当は、自分の内側にあるポカンと向き合う時間だったのかもしれない。

けれど、そのすき間におすすめが入り込むことで、ポカンは一時的に埋まります。

何かを見た。何かを調べた。何かを買った。何かを始めようと思った。

すると、少しだけ動いたような気がします。

けれど、それは本当に自分の動きだったのでしょうか。

それとも、外側から流れてきたものに反応しただけだったのでしょうか。

ここで大事なのは、すぐに拒絶することではありません。

「おすすめなんか見るな」と言いたいわけでもありません。

ただ、一拍置くことです。

画面に何かが流れてきたとき、心の中でこう言ってみる。

「……来たな」

この一拍が、思考を自分の側に取り戻すための小さな間になります。

「今これがいい」と言われた。

本当にそうなのか。

「今これが旬」と言われた。

誰にとって旬なのか。

「みんなが選んでいる」と言われた。

その“みんな”とは誰なのか。

そして、もうひとつ考えてみる。

それを言う人のメリットは、どこにあるのか。

何かをすすめる人には、多かれ少なかれ理由があります。

売りたい。見てほしい。登録してほしい。広めてほしい。影響力を持ちたい。

もちろん、それが悪いという話ではありません。

誰かが何かをすすめるとき、そこには必ず何らかの構造があります。

その構造を見ずに、ただ「おすすめされたから」と受け取ると、自分にとって本当に必要ではないものに、大事なお金と時間を吸われてしまいます。

思考の外注とは、自分で考えることを完全にやめることではありません。

もっと静かに、もっと自然に起きます。

少し疲れているとき。

少し退屈しているとき。

少し不安なとき。

少し自分の位置がわからなくなっているとき。

そのすき間に、外側の声が入ってくる。

「これでいいですよ」

「こっちに行けば安心ですよ」

「あなたにはこれが合っていますよ」

そう言われると、考える面倒を預けたくなります。

けれど、ポカン論では、その瞬間を見逃しません。

考えることは、たしかに面倒です。

判断することも、選ぶことも、時にはしんどい。

でも、その面倒をすべて外に預けてしまうと、自分の人生の味は少しずつ薄まっていきます。

自分に必要なものと、ただ流れてきただけのもの。

自分が本当に望んでいるものと、望まされているもの。

その違いを見分けるためには、一拍置くしかありません。

「……来たな」

その一拍の中に、自分の思考を取り戻す入口があります。

おすすめをすべて疑え、という話ではありません。

ただ、差し出されたものを、そのまま自分の答えにしないこと。

外側の声を聞いてもいい。

でも、最後に自分の中へ戻すこと。

思考の外注から抜け出すとは、外の情報を拒絶することではありません。

外から来たものを、一度、自分の中で受け止め直すことです。

ポカンのすき間に入り込んできたものに、すぐ席を譲らないこと。

その小さな抵抗が、濃い人生の入口になります。