ポポ社会学

ポポ社会学『“わかってる風”はどのように育つのか』

人はなぜ、「わかっているように振る舞う」のか。

その起点のひとつが、子どもの頃の感想文にある。

「自由に書いていい」と言われながら、
そこには暗黙の“正解ルート”が存在する。

「命の大切さに気づきました」
「人を思いやることが大切だとわかりました」
「感謝する気持ちを持とうと思いました」

こうした言葉は、安全であり、評価されやすい。

一方で、
「この話は苦手でした」
「登場人物に共感できませんでした」

といった率直な感想は、
しばしば“少しズレたもの”として扱われる。

ここで子どもは学習する。

正直であることよりも、
“正しく見えること”の方が評価されるという事実を。

このとき装備されるのが、
いわば“わかってる風”という振る舞いである。

それは最初、小さな適応でしかない。

しかし繰り返されるうちに、
それは判断の基準となり、
やがて“思考の型”へと変わっていく。

問題はここからである。

この型が定着すると、
人は他者の言葉や作品に対しても、
“正しい理解”を探すようになる。

つまり、感じる前に、整える。

違和感を抱く前に、納得した形に収める。

その結果、
本来なら引っかかるはずのものが、
通り過ぎてしまう。

“わかっている”ことが、
“感じない”ことにつながるのである。

これは能力の問題ではない。

構造の問題である。

そしてこの構造は、
善意と教育の名のもとに、
静かに育てられていく。