【無意味大学|イナン教授の講義】
第9回 言語を選ぶ権利
――世界は“英語の国”ではなく“自分の国”でできている
諸君。
語学学習というものは、なぜか昔から
「学ばねばならないもの」
という空気をまとわされてきた。
しかし教授は断言する。
言語は義務ではない。
ただの選択肢である。
今日は、知らない間に奪われてきた
“言語を選ぶ自由”を取り返す回や。
1. 世界は英語でできていない。
世界は自分が住んでいる言語でできている。
国際社会=英語
みたいに語られ続けた結果、
多くの人が英語軸で世界を見てきた。
だが実際の世界は、
それぞれの人が住んでいる言語で成り立っている。
- 日本語で生きる人
- 中国語で生きる人
- アラビア語で生きる人
- スペイン語で生きる人
世界地図は英語基準ではなく、
文化と生活基準で成り立っている。
英語ができなければ生きられないなど、
幻想中の幻想。
2. 言語を選ぶとは、“生き方を選ぶ”ということ
言語には世界観が宿る。
- ドイツ語は構造で考える
- フランス語は美しさで整える
- 英語は結論で動く
- 日本語は余白で感じる
どの言語を選ぶかで、
思考の癖すら変わる。
だから語学とは、本来
自分の感性をどこに置くか
という選択の話なのだ。
義務ではなく、
人生デザインの話。
3. 選ばないことも、立派な選択である
人は言語に対して、
“やらない=怠けている”
と勝手に罪悪感を植えつけられてきた。
だが教授から言わせれば、
選ばないことには高度な判断力がいる。
- 自分の資源(時間・関心)を守る
- 得意な分野に集中する
- 優先順位を正確に測る
これはむしろ成熟した選択や。
“やらない自由”を感じた途端、
語学コンプレックスは音もなく崩れる。
4. 言語は“自分から寄ってくるときだけ”やればいい
語学をやる意味が生まれる瞬間がある。
- その国が好きになった
- 音が心地よかった
- 文化に触れたくなった
- 推しがその言語を話していた
- 旅先の景色が刺さった
この自然の欲が来たときだけ、
やればいい。
努力より、
興味と相性の方向に流れた方が速く伸びる。
5. 英語は義務ではなく“得意な人に任せる領域”
今の時代はこうや。
- デザインの得意な人
- 数字の得意な人
- 文章の得意な人
- 英語が好きな人
得意な人は勝手に上手くなる。
不得意な人は、無理に背負う必要がない。
分業社会では、
“苦手を手放せる力”が価値。
語学を選ばないことは、
逃げではなく、
役割分担のスタートである。
6. 結論:言語は“世界に合わせる道具”ではなく、自分が世界をどう味わうかの選択肢
人は、自分に合う言語で世界を見ると、
急に呼吸がしやすくなる。
英語がしっくり来なければ、
ドイツ語でも中国語でもアラビア語でもいい。
言語は人を選ばない。
人が言語を選ぶのだ。
語学学習の本質とは、
世界に溶けるためではなく、
自分の輪郭を取り戻すための行為や。