ある人は、同じ店に通い続ける。
顔を覚えられ、
「いつものですね」と言われることに、安心を感じる。
またある人は、それを避ける。
覚えられる気配を感じた瞬間、
その場所から距離を取ろうとする。
この違いは、性格の問題ではない。
関係の濃度に対する感覚の違いである。
常連になろうとする者は、
関係を積み上げることで安心を得る。
そこには、自分の履歴が残る。
自分という存在が、その場所に記録されていく。
一方で、常連にならない者は、
関係が固定されることに違和感を覚える。
覚えられることは、理解されることではなく、
役割を与えられることに近い。
その役割は、次回も維持されることを暗黙に要求する。
それは、小さな拘束である。
したがって、彼らは距離を選ぶ。
誰にも覚えられず、
誰にも期待されない状態を保つことで、
自由を維持する。
しかし、ここで一つの例外が生じる。
マッサージや美容院のように、
一対一で身体を預ける場においては、
同じ人物を選び続ける傾向が現れる。
これは矛盾ではない。
濃度の問題である。
関係が最初から濃い場所では、
毎回の初対面が大きな負荷となる。
したがって、関係は固定される。
一方で、スーパーやカフェのように、
本来関係が薄い場所においては、
固定化は不要である。
むしろそれは、場の性質を逸脱する。
人は場所を選んでいるのではない。
関係の濃度を選んでいるのである。
そしてもう一つ、忘れてはならない。
人は常に同じ選択をするわけではない。
ある日は、紛れたい。
ある日は、理解されたい。
その揺らぎの中で、
人は場所を使い分けている。