B級グルメ文明論

みたらし団子の粘性哲学|ウムラウト教授のB級グルメ文明論②

諸君。
本日の講義は、みたらし団子である。

「教授、またおやつですか」と思った者がいるだろう。
しかし安心してほしい。
私は菓子を語っているのではない。
文明を語っているのである。

まず観察から始めよう。

みたらし団子は、団子が三つ、串に刺さっている。
場合によっては四つや五つのこともあるが、
屋台文化において最も安定した構成は三つである。

ここで諸君に問いたい。

なぜ三つなのか。

一つでは、団子である。
二つでは、対立が生まれる。
しかし三つになると、構造が安定する。

建築において三点は、最も基本的な安定構造である。
椅子の脚が三本でも立つ理由と同じだ。

団子もまた、三つで安定する。

さて、次にタレである。

みたらし団子のタレは、
砂糖・醤油・水・片栗粉によって作られる。

ここで重要なのは、粘性である。

もしタレが水のようにさらさらしていたなら、
団子に絡まず、すべて下に落ちてしまう。

逆に粘性が強すぎると、
団子の表面を覆いすぎてしまい、
食感が単調になる。

つまり、みたらしのタレは

流れるが、留まる
覆うが、閉じない

という絶妙な粘性に設計されている。

これは物理的に言えば
半流動体の幸福状態である。

さらに、串という存在も忘れてはならない。

串は単なる持ち手ではない。
団子の中心を貫き、
三つの球体を一直線に整列させる。

この構造によって、食べる者は

一口
一口
一口

という、きわめて美しいリズムで団子を食べることになる。

みたらし団子とは、
単なる菓子ではない。

それは

三点構造
粘性設計
食事リズム

この三つが合わさった
和菓子における小さな宇宙なのである。

そして最後に、文化的な観察を述べておこう。

みたらし団子は、
神社の境内や参道で食べられることが多い。

つまり人は

神を参り、
団子を食べ、
また歩き出す。

この順序の中に、
日本の生活哲学が静かに流れている。

諸君。
みたらし団子とは

甘さと塩味
静けさと粘性
祈りと空腹

それらが串一本にまとめられた、
たいへん見事な文明装置なのである。

さて、講義の終わりにもう一つだけ聞いておこう。

諸君は

タレが一番多くかかった団子を
最初に食べるだろうか。

それとも
最後まで残しておくだろうか。

この問いに対する答えは、
その人の人生観を、静かに表している。

では、次回の講義でまた会おう。