無意味界の至宝、ポプリ降臨。──名前を忘れても、好きは残る。

タイトルは思い出せない。

小学生の頃、ある漫画を読んで、ポプリが好きになった。

可愛い入れ物。
あの匂い。
くすんでも、どこか綺麗な花びらやハーブ。

理由はわからない。
でも、あれはたしかに“好き”だった。

ちょっと背伸びした世界

今は100均にも売っているけれど、
あの頃は、百貨店の専門店に行かないと手に入らなかった。

だから、あれは“ちょっと背伸びした世界”だった。

手の届きそうで、届かない。
でも、確かにそこにある、美しいもの。

うまくいかなかった記憶

自分でも作ってみたくなった。

オカンの実家の田舎に帰ったとき、
野いちごを摘んで、ポプリにしようと思った。

新聞紙の上に並べて、
ベッドの下で乾かしていた。

しばらくして覗いてみたら、
見事にカビていた。

あのとき初めて、
「あれは簡単に作れるものじゃない」と知った。

でも、それでも好きだった。

朽ちていくものの美しさ

最近は、ドライフラワーもよく見かける。

よく考えたら、あれも植物の“死骸”のはずなのに、
なぜか美しいものとして飾られている。

美しさを留めたいだけなら、
プリザーブドフラワーや造花でもいいはずだ。

それでも、人は“朽ちていくもの”を選ぶ。

あの、色が少しずつ抜けていく感じ。
時間が閉じ込められているような質感。

何とも言えない、あのノスタルジーは、いったい何なんだろう。

自然との距離感

自然が好きだと言う人は多い。

キャンプに行ったり、花を見に行ったり、
わざわざ時間をかけて“自然に触れる場所”を選ぶ。

でも、その多くは、
自然の中で暮らしているわけではない。

便利な生活の中にいながら、
ときどき自然を取り入れる。

その距離感のまま、
私たちは“自然の美しさ”を感じているのかもしれない。

整えすぎない美しさ

自然のままのものが、一番美しいのかもしれない。

枯れても、朽ちても、
どこかで受け入れられるものがある。

美しさを整える方法はいくらでもある。
でも、整えすぎたものには、
ふとした瞬間に違和感を覚えることがある。

理由はうまく説明できない。

ただ、人はどこかで、
“自然から離れすぎたもの”を、
素直に美しいとは感じにくいのかもしれない。

残るもの

ポプリは、枯れた花びらを集めて、
オイルで匂いをつけたものだ。

よく考えたら、ただの再利用かもしれない。

でも、あれはたしかに“夢の世界”だった。

捨てられるはずのものに、
もう一度、意味を与える。

そういうことに、どうしようもなく惹かれてしまう。

たぶん、自分の中の何かは、あの頃から変わっていない。

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