「自分らしく生きる」という言葉がある。
無理をせず、他人に合わせず、自分のままでいること。それは良いこととして語られることが多い。
だが、本当に「自分になる」ということは、そんなに穏やかなものだろうか。
人は、すでに自分であるはずなのに、どこかでそれを避けている。
別の誰かのように振る舞うことで、なんとかやり過ごしている。
期待される役割を引き受け、無難な言葉を選び、衝突を避ける。
その方が、世界とうまくやっていけるからだ。
だが、その過程で、自分は少しずつ外側に置かれていく。
では、「自分になる」とは何か。
それは、新しく何かを足すことではない。
むしろ、すでにあるものを、取り繕わずに引き受けることである。
好きなもの、嫌いなもの、引っかかること、うまく言えない感情。
それらを、良いか悪いかで判断せず、そのまま認める。
だが、それは簡単ではない。
なぜなら、自分の中には、見たくないものも含まれているからだ。
矛盾や弱さ、未熟さ、醜さ。
それらを含めて受け入れることは、ある種の抵抗を伴う。
むしろ拒否したくなる。
別の形であろうとした方が、ずっと楽に感じられる。
それでも、「自分になる」ことは避けられない。
どこまで行っても、そこから離れることはできないからだ。
だからこそ、その場所に戻るしかない。
受け入れるという行為は、受動的なものではない。
それは、自分を引き受けるという、能動的な選択である。
そしてその選択は、ときに静かに、しかし確実に、自分の輪郭を浮かび上がらせていく。