人は、わかり合いたいと思っている。
同じように感じ、同じように理解し、ズレのない状態に近づくこと。それが理想として語られることが多い。
だが本当に、ズレのない関係は成立するのだろうか。
どれだけ長く関わっても、どれだけ言葉を交わしても、完全に一致することはない。
見ているものも、感じているものも、それぞれ違う。
その違いは、埋めることができない部分を必ず残す。
だからこそ、人はそのズレを消そうとする。
相手に合わせる。理解したふりをする。違和感を押し込める。
その結果、表面的にはうまくいっているように見える関係ができあがる。
だが、その中で何かが静かに失われていく。
本来あったはずの違いが見えなくなり、関係は薄く均されていく。
では、ズレをそのままにしておくことはできるのだろうか。
それは簡単ではない。
違いを認めることは、ときに不安を伴う。関係が壊れるかもしれないという感覚が生まれるからだ。
それでもなお、ズレを消さないという選択がある。
わかりきらないまま、関係を続けること。
理解できない部分を、そのまま残しておくこと。
そこに、無理に埋めない余白が生まれる。
関係とは、完全な一致の上に成り立つものではない。
むしろ、わかり合えなさの上に、かろうじて立っている。
その不安定さを引き受けたとき、はじめて関係は深さを持つ。
ズレは、排除するものではない。
関係を成立させるための前提である。
それを消さないという選択が、関係を単なる一致以上のものに変えていく。