子どもの頃、私は「ビール」という単語に、
一瞬だけ罪悪感を覚えた。
でも飲まされた。
飲まされて、なぜか元気になった。
これは、納得できないまま効いた薬の記憶である。
エビオス錠は、だいたい台所かダイニングの棚にあった。
でっかい瓶で、ドーンと置かれている。
存在感はあるのに、説明はない。
誰も効能を正確に語れないのに、
なぜか「とりあえず飲むもの」として定着していた。
栄養剤というより、習慣。
薬というより、儀式に近い。
そして何より、量がおかしい。
一回十錠。
なぜ十錠なのか。
なぜもう少し濃縮しなかったのか。
子どもながらに、ずっと疑問だった。
私は一錠ずつ飲んで、水をがぶ飲みした。
父は一気に十錠を流し込んだ。
その姿には、尊敬と不安が同時にあった。
さらに不思議なのは、犬も普通に食べていたことである。
うちのパグは、あれをガリガリと噛み砕いていた。
誰も止めなかった。
そして、たぶん元気だった。
家族構成は、こうなる。
父、私、パグ、エビオス錠。
ビール酵母という言葉も、子どもにはよくわからない。
ビールなのに、飲んでいいのか。
少しだけ背徳感がある。
親は「気にせんでええ」と言う。
でも、気にはなる。
あの瓶は、でかすぎた。
あの錠数は、多すぎた。
でももし、もっと小さくて、
もっとスマートなサプリだったら、
ここまで記憶には残っていなかったと思う。
不便さは、記憶になる。
意味がよくわからないまま続いた習慣は、
なぜか身体の奥に残る。
そして今、私たちはそっとこう呼ぶ。
「信じた者だけが効いた、素晴らしき万能栄養剤」
劇的ではない。
でも、確実に思い出す。
「なんとなく元気でいたい」とき、
「なんか足りてへん気がする」とき、
人は、あの瓶のことを思い出す。
たぶん、これからも
私はエビオス錠の効き目を語ることはない。
でも、棚にあれば、安心する。
そういう存在も、
ある意味、すごいと思う。