日本語講座

言葉の正体 第二講 できたての正義語

新しい言葉ほど、疑いにくい。

それは意味が新しいからではない。

正しさをまとって登場するからである。

「多様性」「アップデート」「寄り添う」といった言葉は、どれも否定しにくい響きを持っている。

内容を細かく確認しなくても、良いものとして受け取られる。

むしろ疑う側が、どこか後ろめたくなるような空気すらある。

ここで起きているのは、意味の共有ではない。

方向の共有である。

「多様性」と言えば、何をどこまで含めるのかは曖昧なままでも、とりあえず肯定しておくべきものとして扱われる。

「アップデート」も同じで、何を変えるのかよりも、「変わること」そのものが善として先に置かれる。

つまり言葉の中身よりも、「その言葉に乗っている方向性」が先に機能している。

このタイプの言葉は、便利である。

場をまとめやすいし、対立を一時的に収めることもできる。

しかしその一方で、具体的な議論が置き去りになることもある。

たとえば「寄り添う」という言葉は、とてもやさしい。

しかし、何をどのようにすることが寄り添うことなのかは、人によって違う。

その違いが見えないまま、「寄り添っているつもり」で話が進むこともある。

また「理解する」という言葉も似ている。

本来は時間をかけて行う行為であるはずなのに、言葉として使われた瞬間に、「もう済んだこと」になることがある。

こうした言葉は、意味を固定しないまま広がる。

そして広がりながら、正しさだけを強めていく。

新しい言葉ほど、善意のかたちをしている。

だからこそ、それがどこで使われ、どのように機能しているのかを見ないと、中身が見えにくくなる。

違和感は、反対するときに生まれるのではない。

むしろ、反対しにくいときに生まれる。

そのとき、言葉はすでに機能している。