人は、なぜ意味を求めるのだろうか。
出来事に理由をつけ、言葉に意味を与え、感情に名前をつける。そうすることで世界は整理され、理解できるものとして扱われる。
だが、そのとき同時に、何かが取りこぼされている。
意味を与えた瞬間に、それは「わかったもの」になる。しかし本当に、それはわかったことになるのだろうか。
無意味とは、意味がない状態ではない。
意味に回収される前の、まだ言葉になっていない領域のことである。そこには、説明できない違和感や、名付ける前の感情がそのまま残っている。
人はそれを不安と呼び、できるだけ早く意味に変換しようとする。だが、その変換の速さこそが、思考を浅くする。
意味を急ぐと、世界は薄くなる。
無意味にとどまることは、理解を拒むことではない。むしろ、安易な理解に抗う姿勢である。
すぐに結論を出さず、言葉にする前の状態を保ち続ける。そこにこそ、まだ見えていないものがある。
意味はあとからでもつけられる。しかし、無意味のまま触れていた時間は、あとからは取り戻せない。
だからこそ一度、意味を手放してみる。わからないまま置いておく。そのとき、はじめて見えてくるものがある。