披露宴終宴後のホテル。
片付けながら動き回るスタッフたち。
一生に一度の夢の空間の残骸。
二時間半の夢物語は、あまりにも早く終わる。
スタッフたちが、半ば歌うように言葉を交わしている。
「ねえねえ先輩。花婿が当日来なかったとか、実際あるのかなー」
「あたしは今まで何百組も見てきたけど、そんなのまずあり得ない」
「ここのホテルって高いから、お金持ちのお客さんが多いよね」
「世間一般から見ればかなり上位の部類。高学歴で高収入、おまけに見た目も爽やかで、人当たりもいい。そんな人がとても多い」
「持ってる人は何もかも持ってるように見えるんだなー」
「幸せになれるかどうかは別問題」
「わかっちゃいるけど羨ましい」
「わかっちゃいるけど羨ましい」
「だから、そんな頭の悪い行動はしない。費用的にも相手の心を考えてもない。まあでも、事前の破談でキャンセル料金を払うってパターンなら、二年に一組くらいはいるよ」
「当日とんずらする、なんてドラマの見過ぎでしょ」
「ショールーム入ります!」
「ショールームかしこまりました!」
そんなある日、この式場で主人公は昔の同級生に再会する。
学年で成績トップだった人物だ。
「久しぶりー。値引きとか、特典とか可能か聞いてみるね」
優秀な人は、すべてを手に入れる。
いいねー、うらやましー。
相手は、大手ハウスメーカー勤務の男性と婚約し、仕事を辞めたばかりのとても若い新婦だった。
夢の専業主婦。
ところが打ち合わせを重ねるうち、主人公と担当プランナーは違和感を抱き始める。
新婦はドレスを三着着る。花は豪華にする。なのに、料理と引き出物は最低ランク。
乾杯のシャンパンも無しで、フリードリンクに含まれるビールで乾杯したいと言い出す始末だった。
値引き交渉の駆け引きが、年齢の割にうますぎる。
友達にウェディングプランナーでもいるのだろうか、と担当者は首をかしげる。
だが、それならその友達の勤める式場で挙げるはずだ。
食堂で、その話題が出る。
主人公と担当プランナーの前で、食堂のおばちゃんがぽつりと言う。
「若くて美しい花嫁をもらったからって、幸せになるわけやない」
「その花嫁は要注意やで」
食堂のおばちゃんは、昔このホテルで介添をしていた。
そして二度の離婚を経験している。
「営業としてはその浪費を引き出してナンボや。“一生に一度ですから”の決め台詞でな」
やがて新婦の事情が見えてくる。
新婦は母子家庭で育ち、実は母親が多額の借金を抱えていた。
彼女の目的は、相手の特性を理解したうえで結婚し、お金の不安から解放され、自由に楽しく暮らすことだった。
そして実は、一年から二年ほど結婚生活を送った後、多額の慰謝料をもらって別れるつもりでいる。
さらに、母親は食堂のおばちゃんの昔の同僚だった。
あの値引き交渉のうまさも、母親からの入れ知恵らしい。
新婦に「相手の好きなところは?」と尋ねると、彼女はすぐに答える。
「優しいところ。私のことを一番に優先してくれるところ」
だが、新郎は違った。
「相手の好きなところは?」
「わからない」
その返答に、主人公は引っかかる。
ある日、彼は主人公に打ち明ける。
「僕は事故物件なんだ……。初めは良くても、みんな去っていってしまう。でも彼女は違ったんだ」
主人公は、その言葉を聞いて迷う。
相手に言うべきか。言わないほうがいいのか。
しかもこの案件は、恩義ある先輩がやっとの思いで成約にこぎつけた大切な案件でもあった。
だが、新婦はすでに気づいていた。
彼は感情がないのではない。感情の輪郭が、自分でもつかみにくいのだ。
好きがわからない。どう思っているのかもうまく言えない。
「なぜ私を選んだの?」
「えっと……相談所の人に勧められたときに、いい子だよって言ってたから」
「それに、美人さんだし、悪くないかなって。若いし、子どもを持つにもいいかなって」
選択肢はおそらく三つしかない。
破談にするか。
受け入れ合って結婚生活を送るか。
あるいは、何もわからないまま進むか。
主人公は、新婦に向かって言葉を絞り出す。
「こんなに心のきれいな人を、選ばないんですか?」
「発達障害なんて、社会の中で人が勝手に作った呼び方じゃないですか」
「障害だなんて……害なんて何もない」
「気持ちがわからないからって、気持ちがないわけじゃない」
「誰よりも本当はいろんな感情が流れてる」
「そして誰よりも正直なんだ」
「好きと言わないのは、嘘がつけないからだ。自分の気持ちがよくわからないからだ」
「苦手なコミュニケーションを頑張って、ここまで関係を育ててきたのは、誰かのために生きる人生も悪くないって思ったからだ」
「そんなことをこの人は自分で説明できない」
「だからあたしが代わりに言う」
「説明できなくても、ちゃんと気持ちがあるんだ」
そして主人公は、新婦の奥にある感情を見抜く。
「あなたは本当は、とても怒っている」
新婦はついに本音を漏らす。
「私はそんな出来た人間じゃない」
「年上の落ち着いた人に、大事に保護してもらって、安定した暮らしがしたいの」
「このくらいの夢、持ったっていいじゃない」
さらに彼女には、本命の彼氏がいた。
すぐにお金を取って離婚するつもりだということも、食堂のおばちゃん経由で判明する。
やがて式当日。
チャペル前には、静かな緊張が漂っている。
スタッフたちは慌ただしく動き、ドアの向こうには新郎新婦がいる。
主人公は少し離れた場所から、その様子を見ている。
「最終確認いける?」
「……はい」
新婦がドレス姿で現れる。
完璧に整えられた姿。何もかも予定通りに見える。
新郎も現れる。
少しぎこちないが、穏やかな表情をしている。
新婦が新郎に尋ねる。
「ねえ。どう思ってるの?」
少し間があって、新郎は答える。
「……いい人だと思います」
新婦は小さく笑う。
「そっか」
そのやりとりを見ていた主人公は、誰にも届かない声でつぶやく。
「……それで、いいんですか」
まもなく開式の声がかかる。
扉が開く準備が進む。
新婦は一歩前に出る。
ほんの一瞬だけ無表情になるが、すぐに笑顔へ戻る。
新郎はどこか安心したような顔で、その隣に立つ。
主人公は立ち尽くしたまま、心の中で思う。
……わからない。
……でも。
……これも、選んでるんか。
扉が開く。
光が差し込む。
外から拍手が聞こえる。
新郎新婦は歩き出す。
主人公はその場に残る。
遠くで拍手が大きくなっていく。
そのまま、暗転。