昔々、あるところに、おじいとおばあがおりました。
その村には、小さなお寺がありました。
普段はたいへん静かなお寺で、境内には猫が昼寝をし、風が吹くと、古い木の葉がさらさら鳴るだけでございました。
ところが、ある春の日。
村に一枚の張り紙が出ました。
「数十年に一度のご開帳」
それを見た村人たちは、急にそわそわし始めました。
「ありがたい仏像らしいで」
「見たら腰が軽うなるらしい」
「前に見た人は、くじに当たったらしい」
誰が言い出したのかは、誰にもわかりません。
けれど噂というものは、味噌汁の湯気よりも早く広がるのでございます。
おじいも、その話を聞いておりました。
「おばあ。ご開帳いうのは、そんなにありがたいもんなんか」
おばあは、洗濯物をたたみながら言いました。
「ありがたいと思う人には、ありがたいんやろ」
「なんや、そのふんわりした答えは」
「ありがたさは、だいたいふんわりしとる」
おじいは、なるほどと言いかけて、やっぱりよくわからない顔をしました。
そして、ご開帳の日。
おじいとおばあは、お寺へ向かいました。
すると、寺の前には、ずらりとパイプ椅子が並んでおりました。
おじいは足を止めました。
「おばあ……これは只事やない」
「何がやの」
「椅子や」
お寺の前に、十脚、二十脚、いやもっとたくさんの椅子が並んでおります。
まだ誰も座っていないのに、その椅子たちからは、なぜか人気の気配が漂っておりました。
「これだけ椅子があるいうことは、相当ありがたい仏像なんやろ」
おじいは、真剣に言いました。
おばあは、椅子を見て、仏像を見て、また椅子を見ました。
「椅子で判断するんかいな」
けれど、おじいだけではありませんでした。
村人たちも、パイプ椅子を見て、ざわざわし始めました。
「こんなに椅子があるとは」
「これは、かなりのご利益やで」
「椅子の数が信仰を物語っとる」
いつのまにか、椅子そのものがありがたいもののように見えてきました。
おじいは、ひとつの椅子に腰を下ろしました。
「座ると、心が整う気がするな」
「まだ仏像見てへんで」
「でも、並んどる感じがする」
「誰も並んでへんのに?」
「椅子が並んどる」
おばあは、少しだけ笑いました。
しばらくすると、住職が出てきました。
村人たちは、一斉に姿勢を正しました。
住職は、にこにこと言いました。
「本日はようお参りくださいました。高齢の方も多いので、待ち時間に座れるよう椅子を置いております」
村人たちは、少しだけ静かになりました。
おじいも、椅子の背もたれを見ました。
「……高齢者対策か」
「せやろな」
おばあは、さらりと言いました。
けれど、不思議なことに、誰も帰ろうとはしませんでした。
椅子の理由がわかっても、一度ふくらんだ期待は、なかなかしぼまないのでございます。
やがて順番が来て、おじいとおばあは本堂へ入りました。
薄暗い本堂の奥に、その仏像は静かに座っておりました。
派手ではありません。
大きくもありません。
ただ、長い時間そこにいたものだけが持つ、静かな顔をしておりました。
おじいは、手を合わせました。
おばあも、そっと手を合わせました。
本堂の中は、とても静かでした。
帰り道。
おばあが聞きました。
「おじい、どうやった」
おじいは、しばらく考えました。
「ありがたかったな」
「そうか」
「でもな」
「なんやの」
おじいは、寺の前に並んでいた椅子を振り返りました。
「一番印象に残っとるのは、椅子やな」
おばあは、ふふっと笑いました。
「人はな、並んどるものを見ると、ありがたく見えるんや」
「椅子でもか」
「椅子でもや」
おじいは、深くうなずきました。
そして帰りに、寺の門前で売っていた焼き団子を買いました。
おじいは団子を食べながら言いました。
「これは、並ばんでもうまいな」
おばあは言いました。
「ほんまにありがたいもんは、案外、すぐそこにあるんかもしれんな」
その後、村ではしばらくのあいだ、寺の仏像よりも、寺の前の椅子の話で持ちきりになりました。
そして翌年。
お寺で小さな法要があると聞いた村人たちは、また寺の前に椅子があるかどうかを気にするのでございました。
めでたし、めでたし。