柿の種はな、よう見たら「☝」って指さしてるみたいやろ。
あれな、「そっちちゃうで」って、人生の分岐点をそっと指してるんや。
尖ってるくせに、さりげない。
せやけど、ピーナッツはどうや?
どこにでも馴染むし、柿の種の攻撃力をふわっと和らげてくれる。
まるで、人間関係で言うとこの「聞き上手」や。
柿が言いたい放題しても、ピーは怒らん。
ただそこにおるだけで、「なんや落ち着くな」ってなる。
尖るなとは言わん。けど、ピーを忘れるな。
尖ってるのは、ええことや。
主張も、熱意も、情熱も。
けどな、ずーっと尖ってたら、周りに誰もおらんようになる。
そんなときこそ「ピー」や。
誰かを和ませる、自分をゆるめる、
その“やわらかさ”を持ってこそ、ほんまの意味での「旨味」が出るんや。
ピーが足らんと、口が痛い。人も一緒や。
実際、柿の種だけ食べ続けたら、口の中ズタズタなるやろ?
ほんで「ピー探してまう」やんか。
その時点で、もう答え出てるねん。
「尖りは魅力。でも、ピーがないと人は疲れる。」
あんた自身も、周りの人もな。
共にいるということ
カキタネ仙人は言うた。
「ピーは味を主張せぬ。
ただ、そばにおることで、柿の種を輝かせる。」
「そなたもまた、誰かのピーであれ。」
…泣けるやんけ……(しみじみ)