スナック哲学部|カキタネ仙人講話録⑩「柿の種は、最終的に袋の底でまとまる」〜人生の収束と、ほんまの意味での共生とは〜

気づいたら、袋の底に集まってる。

振ったわけでもないのに、
いつの間にか、まとまってる。

柿の種も、ピーナッツも、
全部いっしょに。

最初はバラバラやったのに、
最後は、ひとつの場所に落ち着く。

散らばってても、最後は寄る。

人も、よう似てる。

若い頃は、バラバラや。

方向も違う。
価値観も違う。
進むスピードも違う。

交わることもあれば、
すれ違うこともある。

でもな。

長い時間の中で、
少しずつ、少しずつ、

何かが揃ってくる。

経験とか。
理解とか。
許しとか。

そういうもんが、
人を同じ“底”に導いていく。

共生って、無理に合わせることちゃう。

柿は柿のまま。
ピーはピーのまま。

無理に混ざろうとはしてへん。

それでも、同じ袋の中で、
最後は自然と寄り添ってる。

これが、ほんまの共生や。

無理に理解し合うことでも、
無理に同じになることでもない。

違うままで、
同じ場所にいられること。

底に集まるということ

カキタネ仙人は言うた。

「底とは、終わりではない。」

「すべてが交わる場所じゃ。」

…ええな。

人生の終わりって、
なんか寂しいもんやと思いがちやけど、

ほんまは、いろんなもんが
ようやく混ざり合う瞬間なんかもしれん。

最後に残る味

袋の底で食べる、
最後のひと口。

あれ、ちょっと特別やろ。

いろんな味が混ざってて、
ちょっと濃くて、
なんか、ええ感じや。

カキタネ仙人は最後にこう言うた。

「散らばることを恐れるな。」

「どうせ最後は、ええ具合にまとまる。」

…せやな。

人生も、たぶんそうや。

いろいろあって、
バラバラになっても、

最後には、ちゃんと味になる。

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