人間関係の中で、ときどき奇妙なことが起こる。
ある人は、よく我慢している。
ある人は、ほとんど我慢していない。
しかし不思議なことに、その差はあまり問題にされない。
むしろ我慢している側が、さらに我慢を重ねることが多い。
「ここは自分が我慢すればいい」
「波風を立てないほうがいい」
そうやって、少しずつ引き受けていく。
一方で、我慢しない側は特に変わらない。
強く主張し、嫌なことは避け、
自分の都合で動く。
ここに、「我慢の非対称」が生まれる。
片方だけが我慢し、
もう片方はほとんど我慢しない。
しかしこの構造は、外からは見えにくい。
なぜなら、我慢は静かに行われるからである。
声に出されない。
表にも出ない。
だから気づかれないまま、偏りだけが蓄積していく。
そしてあるとき、限界がくる。
しかしそのときでさえ、
周囲はこう思うことがある。
「どうして急にそんなことを言うのか」
スン民は、そこで一度立ち止まる。
「いや、ちょっと待て」
その我慢は、本当に自分だけが引き受けるものだろうか。
それは対等な関係だろうか。
そして静かに見直す。
引き受けているものを、
本当に持ち続ける必要があるのかを。
我慢は美徳のように見えることがある。
しかし、それが一方通行になったとき、
それはただの偏りになる。
スン民は、その偏りに少しだけ気づく。
そして、そっと手を離す準備をする。