スン民エッセイ第2記録『誠実という言葉』

人はよく言う。

「私は誠実な人が好きです」

たしかに、誠実という言葉はとても感じがいい。

しかし、世の中をよく観察していると、少し不思議なことに気づく。

誠実を望むと言いながら、人は必ずしも誠実な行動をしているわけではない。

人はときどき約束を忘れるし、
都合によって態度も変わるし、
自分の利益が絡めば判断も揺れる。

それでも人は、「誠実」という言葉が好きなのである。

なぜだろう。

おそらく、人が本当に望んでいるのは、誠実そのものではない。

「自分にとって都合のいい誠実」である。

自分を傷つけない誠実。
自分を裏切らない誠実。
自分に優しい誠実。

しかしそれは、ときどき少しだけ都合のよい解釈でもある。

世の中の人は、誠実という言葉を掲げながら、ほどよく適当に生きている。

それは別に悪いことでもない。

人間というものは、だいたいそんなものである。

ただ、誠実という言葉を聞いたとき、スン民は少しだけ立ち止まる。

そしてこう思う。

「いや、ちょっと待て」

言葉と現実のあいだには、ときどき少しだけ距離がある。

だからスン民は、誠実という言葉をそのまま信じない。

疑うわけでもない。
否定するわけでもない。

ただ、その言葉の「中身」を見ようとする。

その人は、どんなときに約束を守るのか。
どんなときに態度が変わるのか。
どんな場面で、自分を優先するのか。

誠実とは、きれいな一枚の看板ではなく、その人の中にある「揺れ方」の総体である。

常にまっすぐな人間など、ほとんどいない。
むしろ、揺れながらも戻ってくる人間のほうが、少しだけ信頼に近い。

だからスン民は、誠実そうに見える言葉よりも、少しだけ不器用な行動を見る。

言葉は整えられる。
しかし、揺れ方には癖が出る。

そしてその癖こそが、その人の「本当の誠実さ」に近い気がするのだ。

最後に、スン民はこうつぶやく。

「誠実って、けっこう不格好やな」

きれいに見えるものほど、少しだけ疑ってみる。

それくらいで、ちょうどいい。

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