世の中には、説教というものがある。
人はよく、
「人に迷惑をかけてはいけません」
「もっと思いやりを持ちなさい」
「ちゃんと考えて行動しなさい」
といったことを語る。
しかし、この説教というものは、どうも当たる場所を間違えることが多い。
なぜなら、本当にそれを聞くべき人は、だいたい聞いていないからである。
そして逆に、それを真面目に聞く人は、すでに十分すぎるほど気をつかって生きている。
つまり説教は、
聞く必要のない人に当たり、
聞くべき人には届かない。
これを私は「説教の誤爆」と呼んでいる。
世の中の人は、あまり相手を見て言葉を投げない。
一般論というものを、気持ちよく語るだけである。
しかし、一般論は便利なようでいて、ときどき無差別に人を傷つける。
とくに敏感な人は、それをまともに受け取ってしまう。
「私のことかもしれない」
「もっと気をつけなければ」
そうやって、必要以上に自分を責めてしまう。
だが少し立ち止まって考えてみるといい。
その説教、本当にあなたに向けられたものだろうか。
世の中には、
説教を聞くべき人と、
説教を聞きすぎている人がいる。
もしあなたが後者なら、
その言葉は半分くらい聞き流してもいい。
スン民は、そういうときこう言う。
「いや、ちょっと待て」
そして静かにこう判断する。
これは私の案件ではない。