スン民エッセイ第7記録『我慢の非対称』

人間関係の中で、ときどき奇妙なことが起こる。

ある人は、よく我慢している。
ある人は、ほとんど我慢していない。

しかし不思議なことに、その差はあまり問題にされない。

むしろ我慢している側が、さらに我慢を重ねることが多い。

「ここは自分が我慢すればいい」
「波風を立てないほうがいい」

そうやって、少しずつ引き受けていく。

一方で、我慢しない側は特に変わらない。

強く主張し、嫌なことは避け、
自分の都合で動く。

ここに、「我慢の非対称」が生まれる。

片方だけが我慢し、
もう片方はほとんど我慢しない。

しかしこの構造は、外からは見えにくい。

なぜなら、我慢は静かに行われるからである。

声に出されない。
表にも出ない。

だから気づかれないまま、偏りだけが蓄積していく。

そしてあるとき、限界がくる。

しかしそのときでさえ、
周囲はこう思うことがある。

「どうして急にそんなことを言うのか」

スン民は、そこで一度立ち止まる。

「いや、ちょっと待て」

その我慢は、本当に自分だけが引き受けるものだろうか。

それは対等な関係だろうか。

そして静かに見直す。

引き受けているものを、
本当に持ち続ける必要があるのかを。

我慢は美徳のように見えることがある。

しかし、それが一方通行になったとき、
それはただの偏りになる。

スン民は、その偏りに少しだけ気づく。

そして、そっと手を離す準備をする。

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