スナック哲学部|カキタネ仙人講話録①「尖り、時々やわらかさ」〜ピーとの共存から学ぶ、現代人の心得〜

柿の種は尖っとる。
ピーナッツは丸い。

この世界のすべては、この二粒に集約されとるんちゃうか、と。

種よ、なぜお前は尖っているのか

柿の種は、最初からケンカ腰や。
見た目も尖ってるし、味もピリッとしてて強気や。

一粒口に入れたら「しゃーっ!我こそは柿ィィィィの種ッ!」って自己主張がすごい。

人間で言うたら、意識高い系の営業マンやな。
スーツに身を包んで「今日も勝ち取りましょう!」言うてくるタイプ。

でもな、あんまり種ばっかり詰め込むと、口の中がカラッカラになってくるやんか。

あれって、人生にも似てるねん。
尖ってるだけじゃ、しんどいねん。

そう、そこで現れるんが──

ピーナッツは“そこにいるだけ”の達人

ピーは静かや。何も語らん。
けど、口に入れた瞬間、柿の種でバチバチになった世界にふわぁ〜〜っと平和が訪れる。

まるで「もう、ええやん。落ち着こ?」って言うてくれてるみたいや。

ピーの存在って、友達にもおるやろ?
よう喋るわけでもない、目立つわけでもない。
でも、そばにおると安心するあの子。

柿の種にとってのピーナッツって、まさにそういう存在や。

共にいるということ

カキタネ仙人は言うた。

「尖りが悪いんじゃない。
尖ったまま誰かとおるのが難しいんじゃ。」

「ピーは何もせん。
されど、それが最大の支えとなるのじゃ。」

柿の種は単体でもうまい。
ピーもナッツとして独立してる。
でも、「柿ピー」になったとき、そこにはバランスと調和の宇宙が広がるんや。

主張と受容。
攻撃と癒し。
エッジと包容。

その全部が、ひと袋に詰まってんねん。

今日も、種とピーはとなりあってる

「尖ってるなぁ」と思う人がいても、
「何考えてるかわからんわ」と思う人がいても、
ピーと柿は、いっしょに袋に入ってる。
今日もとなりあって、ポリポリされてる。

…せやから、わたしも思うねん。

「尖っててもええけど、ピー忘れたらあかんなぁ」って。

柿の種は、人生や。
ピーは、たぶん、愛や。

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