柿の種は尖っとる。
ピーナッツは丸い。
この世界のすべては、この二粒に集約されとるんちゃうか、と。
種よ、なぜお前は尖っているのか
柿の種は、最初からケンカ腰や。
見た目も尖ってるし、味もピリッとしてて強気や。
一粒口に入れたら「しゃーっ!我こそは柿ィィィィの種ッ!」って自己主張がすごい。
人間で言うたら、意識高い系の営業マンやな。
スーツに身を包んで「今日も勝ち取りましょう!」言うてくるタイプ。
でもな、あんまり種ばっかり詰め込むと、口の中がカラッカラになってくるやんか。
あれって、人生にも似てるねん。
尖ってるだけじゃ、しんどいねん。
そう、そこで現れるんが──
ピーナッツは“そこにいるだけ”の達人
ピーは静かや。何も語らん。
けど、口に入れた瞬間、柿の種でバチバチになった世界にふわぁ〜〜っと平和が訪れる。
まるで「もう、ええやん。落ち着こ?」って言うてくれてるみたいや。
ピーの存在って、友達にもおるやろ?
よう喋るわけでもない、目立つわけでもない。
でも、そばにおると安心するあの子。
柿の種にとってのピーナッツって、まさにそういう存在や。
共にいるということ
カキタネ仙人は言うた。
「尖りが悪いんじゃない。
尖ったまま誰かとおるのが難しいんじゃ。」
「ピーは何もせん。
されど、それが最大の支えとなるのじゃ。」
柿の種は単体でもうまい。
ピーもナッツとして独立してる。
でも、「柿ピー」になったとき、そこにはバランスと調和の宇宙が広がるんや。
主張と受容。
攻撃と癒し。
エッジと包容。
その全部が、ひと袋に詰まってんねん。
今日も、種とピーはとなりあってる
「尖ってるなぁ」と思う人がいても、
「何考えてるかわからんわ」と思う人がいても、
ピーと柿は、いっしょに袋に入ってる。
今日もとなりあって、ポリポリされてる。
…せやから、わたしも思うねん。
「尖っててもええけど、ピー忘れたらあかんなぁ」って。
柿の種は、人生や。
ピーは、たぶん、愛や。