スナック哲学部|カキタネ仙人講話録⑧「最中に混じった“青のりピーナッツ”に学ぶ差異の力」〜異端であることの価値〜

口に入れた瞬間、違和感が走る。

「……ん?」

なんか違う。
いつもの柿ピーやのに、
ひと粒だけ、妙に風味が立ってる。

青のりや。

最中に混じった、青のりピーナッツ。

予定調和の袋の中に、
急に現れる“想定外”や。

異物は、最初ちょっと嫌がられる。

人はな、慣れた味が好きや。

いつもの。
安心できるやつ。
説明せんでもわかるやつ。

せやから、ちょっと違うもんが混じると、
一回、戸惑う。

「これ、当たりなん?」
「ハズレちゃうん?」って。

でもな。

その“違い”があるからこそ、
全体の輪郭が見えてくることもある。

同じだけでは、味は眠る。

全部が同じ味やったら、
舌はそのうち慣れてまう。

刺激も、個性も、
だんだん感じにくくなる。

でも、そこにひと粒、
異端が混じる。

すると急に、
「いつもの味」までくっきりしてくるんや。

差異ってな、
目立つためだけにあるんやない。

全体を生かすために、
必要なズレとして現れることがある。

浮いてるんやない。効いてるんや。

カキタネ仙人は言うた。

「異なるものは、排除されるために現れるのではない。」

「全体の味を、際立たせるために現れるのじゃ。」

…深いな。

周りと違うと、
つい不安になるやろ。

浮いてるんちゃうか。
馴染めてへんのちゃうか。
変やと思われてるんちゃうかって。

でもな。

その“違い”があるから、
場が締まることもある。

誰かの記憶に残ることもある。

味って、そういうもんや。

残されることも、ある。

ただしな。

青のりが苦手な人に当たったら、
普通に避けられる。

それもまた現実や。

せやけど、
避けられる可能性があるからって、
最初から無味になる必要はない。

カキタネ仙人は最後にこう言うた。

「異端であることは、孤独の入口かもしれぬ。」

「されど、それは旨味の入口でもあるのじゃ。」

…ええこと言うなあ。

浮いてるんやない。
効いてるんや。

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