太古の海からやって来た、微生物の亡骸。
はるか昔、光も届かぬ海の底で、吾朗はただ沈んでいた。
「おまえ…名前は?」
「ないです。」
「おまえ、よう吸うな。」
「はい……水、好きなんで。」
名もなき珪藻たちが、死んでは積もる。
ただ沈み、ただ重なり、ただそこに在る。
やがて地上に出た。
風に吹かれ、太陽に照らされ、乾燥にさらされる。
「もう吸えへんのか?」
「まだ、吸えます。」
(乾いた声で)
長いこと、誰にも気づかれへんまま、働いていた。
土壌を整え、匂いを消し、どこかに混じり、誰かを支える。
でも、名前を呼ばれることはなかった。
やれることはあった。
でも、見つけてもらえへんかっただけや。
―――
21世紀。
吾朗は、ようやく“表に出た”。
バスマットとしてや。
「すぐ乾くッ!」
「臭わないッ!」
テレビの中で、何度も叫ばれる。
吾朗は、何も言わない。
ただ、足の裏を受け止める。
「もうええねん。」
「誰かの足の裏、支えられるだけで。」
―――
ある日、加湿器が言うた。
「湿ってこそ、命やろ?」
吾朗は答える。
「俺は違う。」
「乾いて、生きる。」
―――
「……ずっと、そこにおったよ。」
「でも誰も見つけてくれへんかっただけや。」
「俺らは化石やなくて、“働く骨”やねん。」
「バスマット?」
「ええよ、ええよ。」
「ちょっと脚の裏冷たいけど、慣れたら気持ちええって言われんねん。」
(間)
「でもな。」
「ほんまは……もっといろいろできる子やで?」
―――
吾朗は、今日も公文書館にいる。
誰にも気づかれへんまま、
湿気だけを吸い続けている。
(少しだけ間)
「……湿っとるな。」
「吸っとこか。」