吸井吾朗 公文書館勤務記録①『乾いてなんぼの人生』―吸い込むことしか、できへんのです―

太古の海からやって来た、微生物の亡骸。

はるか昔、光も届かぬ海の底で、吾朗はただ沈んでいた。

「おまえ…名前は?」

「ないです。」

「おまえ、よう吸うな。」

「はい……水、好きなんで。」

名もなき珪藻たちが、死んでは積もる。

ただ沈み、ただ重なり、ただそこに在る。

やがて地上に出た。

風に吹かれ、太陽に照らされ、乾燥にさらされる。

「もう吸えへんのか?」

「まだ、吸えます。」

(乾いた声で)

長いこと、誰にも気づかれへんまま、働いていた。

土壌を整え、匂いを消し、どこかに混じり、誰かを支える。

でも、名前を呼ばれることはなかった。

やれることはあった。

でも、見つけてもらえへんかっただけや。

―――

21世紀。

吾朗は、ようやく“表に出た”。

バスマットとしてや。

「すぐ乾くッ!」

「臭わないッ!」

テレビの中で、何度も叫ばれる。

吾朗は、何も言わない。

ただ、足の裏を受け止める。

「もうええねん。」

「誰かの足の裏、支えられるだけで。」

―――

ある日、加湿器が言うた。

「湿ってこそ、命やろ?」

吾朗は答える。

「俺は違う。」

「乾いて、生きる。」

―――

「……ずっと、そこにおったよ。」

「でも誰も見つけてくれへんかっただけや。」

「俺らは化石やなくて、“働く骨”やねん。」

「バスマット?」

「ええよ、ええよ。」

「ちょっと脚の裏冷たいけど、慣れたら気持ちええって言われんねん。」

(間)

「でもな。」

「ほんまは……もっといろいろできる子やで?」

―――

吾朗は、今日も公文書館にいる。

誰にも気づかれへんまま、

湿気だけを吸い続けている。

(少しだけ間)

「……湿っとるな。」

「吸っとこか。」

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