【夜|去る側】
夜中やのに、家の中だけやけに明るい。
カーテンは閉め切ってるのに、落ち着かへん。
引き出しを開ける音。
紙が擦れる音。
小さい音ばっかりやのに、やけに響く。
「それ、もうええ」
低い声が落ちる。
手に持ってたノートを、机に戻す。
全部持っていかれへんことくらい、わかってる。
でも、何を置いていくか決めるのが、一番むずい。
制服だけ、畳んで鞄に入れる。
もう着ることはないかもしれへんのに。
それでも、入れる。
玄関に並んだ靴の中から、自分のだけを取る。
ドアを開ける。
夜の空気が流れ込む。
一歩出て、振り返る。
机の上に、ノートが残ってる。
白いままのページ。
書こうとしてた言葉があった気がする。
でも、もう思い出されへん。
「……ええ」
誰にともなく言って、ドアを閉める。
鍵の音がやけに大きい。
それで終わりや。
あの場所と、自分の位置が、そこで切れる。
【翌朝|残る側】
朝、教室に入ったとき。
何かが足りてへん気がした。
でも、何かはわからへん。
席に鞄を置く。
視線が、隣へ行く。
――空いてる。
遅刻やろか、と思う。
時計を見る。
まだ時間はある。
そのうち来るやろ、と思う。
ノートを開く。
ページをめくる音だけが、やけに大きい。
チャイムが鳴る。
先生が出席を取る。
名前が一つ、飛ばされる。
一瞬だけ、間が空く。
でも、そのまま進む。
誰も何も言わへん。
「あれ」
今度は、ちゃんと声に出る。
隣の席を見る。
やっぱり空いてる。
鞄もない。
机の中も、何もない。
昨日まであったものが、きれいに消えてる。
休み時間。
廊下で、小さい声が流れる。
「なんか、急に……」
そこで止まる。
目が合うと、話題が変わる。
教室に戻る。
空いた席だけが、そのままある。
ただ空いてる。
ノートを見る。
昨日の続き。
書きかけのまま、止まってる。
「昨日、なんか言うてたっけ」
思い出そうとする。
でも、出てこーへん。
なんでもない会話やった気がする。
それが、一番引っかかる。
空いた席だけが、やけに近い。
【十五年後|再会】
改札の向こうで、目が合う。
一瞬だけ、止まる。
「あ……」
どっちからともなく、声が漏れる。
数秒の間。
でも、その間に全部通る。
「久しぶりやな」
それだけでええ。
「あほ、急におらんくなるからびっくりしたわ」
昔と同じ言い方。
でも、どこか柔らかい。
「元気してた?」
「まあな」
それだけの会話。
無理がない。
同じ場所に戻ったわけやない。
ただ、並べるだけや。
電車の音が近づく。
同じ方向やけど、乗る車両は違う。
「ほなな」
「ほなな」
それだけ。
振り返らへん。
逃げるためやない。
もう、終わってるからや。
改札の向こうに消える背中を見て、
ふと気づく。
――あのときと同じ顔やのに、
いちばん遠くに見える。