第2章 にじむ光
それは、とても小さなことだった。
誰も気づかないくらい、
ほんの少しだけ、
空気の流れが変わったような出来事。
昼休みの終わり。
教室にはまだざわめきが残っていて、
席に戻る者、廊下に出る者、
それぞれの時間が、ばらばらに動いていた。
ヨアナは、いつものように窓際にいた。
机の上にはノートが開かれていて、
書きかけの一行が、そのまま残っている。
風が入って、
ページの端が、ふわりと持ち上がった。
そのときだった。
一枚の紙が、床に落ちた。
ヨアナのノートからではない。
少し離れた席の、誰かのプリントだった。
誰も気づいていない。
笑い声のなかで、
その一枚だけが、静かに取り残されていた。
ヨアナは、それを見ていた。
しばらく、そのまま見ていた。
拾うかどうか、
ほんのわずかな時間、迷っていた。
それから、立ち上がった。
足音を立てないように、
そっと歩いていく。
紙を拾い上げる。
折れないように、
端を揃えて、軽く整える。
そして、元の机の上に、静かに置いた。
それだけのことだった。
「ありがとう」も、なかった。
「誰?」という声も、なかった。
ヨアナは、何も言わずに席に戻る。
まるで、何もしていないかのように。
でも、その一瞬だけ、
確かに、世界に触れていた。
私は、それを見ていた。
ヨアナの指先の動き。
紙を整える、そのやさしさ。
誰にも見られていないところで、
ちゃんと世界と関わろうとした、その気配。
光は、こういうところにある。
大きなことじゃない。
誰かに認められることでもない。
ただ、
誰も見ていない場所で、
世界を壊さずに、そっと触れること。
ヨアナは、それができる子だった。
でも、誰も知らない。
ヨアナ自身も、
それを「特別なこと」とは思っていない。
席に戻って、ノートを閉じる。
そのあと、また少しだけ開いて、
短く書き足した。
「紙が落ちてたから、戻した」
それだけだった。
説明でもなく、
記録でもなく、
ただの事実。
その下に、少しだけ間をあけて、
「なんで、あんなにドキドキしたんやろ」
と、書かれていた。
その一文だけ、
やっぱり大阪弁だった。
ヨアナは、まだ気づいていない。
自分の中にあるものが、
少しずつ、外へにじみ始めていることに。
そしてそれが、
誰かの世界を、ほんのわずかに変える力を持っていることにも。
私は、見ていた。
その光が、
まだ名前も持たずに、
ここに在ったことを。