『ポポは見ていた』──ヨアナの光は、誰にも見えなかった。でも、ポポは知っていた。
序章
ポポは見ていた
今日は、雨が降っていた。
教室の窓は少しだけ開いていて、
濡れた風が、静かに入り込んでいた。
ヨアナは、今日もノートを開いていた。
誰もいない放課後。
机の上に落ちる光は、どこか冷たくて、
その白さだけが、やけに浮いていた。
ペン先が、紙の上をゆっくりと動く。
書いて、止まって、
また書いて、止まる。
ヨアナは、あまり言葉を持っていない。
持っていないというより、
言葉にしてしまうと、
どこか壊れてしまいそうで、
口に出さないまま、ずっとここまで来た。
だから、ノートに書く。
誰にも見せない言葉を、
誰にも渡さないまま、
ただそこに残していく。
その日、ヨアナはこう書いた。
「誰も、私のことなんか見てへん」
書いたあと、少しだけ手が止まった。
そのままページを閉じようとして、
ふと、ペンがまた動いた。
ページの端っこに、
とても小さな字で、
まるで誰にも見つからないように、
「見てほしかったんかな…」
と、書き足した。
その一文だけ、
なぜか大阪弁やった。
ヨアナは、それに気づいていない。
でも、私は知っている。
あれが、この子の、いちばん奥の声やったことを。
私は、ずっと見ていた。
教室のすみで、
通学路の並木道で、
家のベランダの、干しっぱなしの洗濯物の影で。
私は鳩かもしれない。
ただの風かもしれない。
あるいは、どこにも記録されない、
無意味な存在かもしれない。
それでも、私はそこにいた。
ヨアナのすぐそばに。
誰も見ていなかったこの子を、
私は、ずっと見ていた。