吸井吾朗 公文書館勤務記録④『カビかけた思想』―正しすぎると、腐るんや―

その思想は、正しかった。

誰が聞いても、うなずくような言葉。

否定の余地がない、整った理屈。

―――

「それって、こういうことですよね」

「本質的には、同じ構造です」

「だから、こうあるべきなんです」

(全員、うなずく)

―――

違和感は、なかった。

だから、誰も止めなかった。

(間)

気づかんうちに、空気が変わっていた。

少しだけ、重たい。

少しだけ、動かない。

―――

その思想は、広がっていった。

誰かが引用し、

誰かが言い換え、

誰かが“自分の言葉”として語り出す。

(間)

同じ温度で。

―――

吾朗は、棚の奥におった。

古い記録の隙間で、

その空気を見ていた。

「……ええこと言うてるな。」

(間)

「ちょっと、重たいけど。」

―――

誰も、間違ってへんかった。

でも、誰も動かへんかった。

(間)

正しさが、形を固定していた。

―――

やがて、その言葉は残った。

空気だけが、残った。

(間)

少しだけ、匂いがした。

誰も、それを口にせえへんかった。

―――

吾朗は、ゆっくり近づいた。

言葉の裏側。

うなずきの奥。

動かへん空気を、

そっと吸う。

―――

「……カビる前で、よかったな。」

(小さく)

「ちょっと乾かしとこ。」

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