かつて、この街には鬼がいたとされる。
鬼といっても、角を振りかざして暴れるだけの存在ではない。
人を脅かすために生まれたものでもない。
古い記録をたどると、鬼はむしろ人のそばにいた。
笑う者のそばに、泣く者のそばに、少しはみ出した者のそばに。
鬼はいつも、人の中にある「美しいもの」を見つめていたという。
このことを最初に語ったのは、街の古老だった。
「鬼っちゅうもんはなぁ、昔から人のそばにおったんや」
老人は、火の消えかけたような静かな声でそう言った。
「怖い姿で語られることもあった。せやけどほんまは違う。
鬼はな、人の奥にあるもんを見とるんや。
よう笑うやつ、よう泣くやつ、ちょっと変わっとるやつ。
はみ出したもんも、弱いもんも、ぜんぶひっくるめてな……
『めっちゃ美しいでー』言うて、見とる存在なんや」
その言葉が本当かどうか、今となっては確かめようがない。
だが、妙なことに、この街には昔から「鬼を見た」という証言が絶えなかった。
しかもそれは、決まって子どもたちの口から語られるのだった。
大人は誰も見ていない。
けれど子どもは、たしかに見ていたという。
そして、その鬼は恐ろしい顔をしているくせに、
人の夢や、友情や、まだ形にならない願いごとに出会うたび、
うれしそうに叫んだという。
「めっちゃ美しいでー!」
その言葉だけが、いくつもの記録に共通して残っている。
鬼は、人の中にある光を好んだ。
成功ではなく、完成でもなく、もっと手前にある、まだ名づけられていない輝きを。
それが鬼の正体だったのかもしれない。
ただし、記録にはもう一つ、気になる共通点がある。
鬼を見ていた子どもたちは、やがて皆、大人になった。
そして気づけば、鬼の話をしなくなっていた。
見えなくなったのか。
それとも、見えないことにしたのか。
その答えは、次の記録に残されている。